甘え

年末年始の浮かれた空気が年々嫌になってきている。普段会わない人に会うのは嬉しいし特別なイベントは楽しいけれど、そうやって何日もそわそわし続けていると早く日常に帰りたくて仕方がなくなる。年末年始は帰省をしていて、4日間の滞在予定だったが3日目でどうにも耐えられず帰ってきた。家族とはふつうに馬が合わないので当然である。わたしの場合は一人暮らしをして家族と距離をとれたのがほんとうに良いことで、そのおかげで関係がよくなったと錯覚してしまう。帰省するたびにわたしはよくこんな人たちと一緒に住んでいたなと感心するし、その感覚を忘れないために定期的に帰省しなければと思う。

 

昨年夏に受けた集中講義で当事者研究の真似ごとをした際、わたしは「『帰る』フェチ」ということになった。何をしていても帰りたくて、帰れるとわかった瞬間心が踊る。本当は人といる時すぐ帰りたくなる理由なんてわかっていて、それは他者がいると否応なく自意識が刺激されるから。

わたしはわたしがわたしである限りその存在の全てを愛する必要があって、それは他者の目に映る自分の姿も例外ではない。これはあくまでも、「他者から見た自分」が「自分にとって」よいものであるかどうかの話であって、他者の価値基準は関係ないということはわかってもらえると思う。つまり自分で自分を縛っているだけなのだが、自分にとって都合のいい部分だけをコントロールして表出するにはかなりのエネルギーを使う。

そんなことを考えているとブログの公開なんて怖くて怖くて全然できなくなってしまった。言葉にするとそれまで留保されていた意味が固定されてしまって、本当はこんな言葉じゃ言い表せないはずの全部が行間に吸い込まれて消えてしまう。これまでわたしが書いてきたことは全部本当だけど全部嘘で、わたしが考えていることはあなたには絶対にわかりません。わかるよね?けれどこうして気分が落ちている時にしかブログなんて外に出せないので、今のうちにとりあえず急いで形にするしかない。

 

いま心理学を学び、臨床経験を積み始め、スーパーヴィジョンを受け、新たに出会う人や出会ってきた人の背景をこれまで以上によく考えるようになった。こんな嫌な人にも辛い過去があるかも、あんなこと言う人にもこれまでの人生がある、でもそんなことほんとは全然ぜーんぜんわたしが考える必要なくて、そんな色々をわざわざ汲み取ってあげてどうなるの?わたしのことは誰か汲み取ってくれるんですか?誰が?

ほんとうは嫌なことは嫌で無理なことは無理で辛いなら辛いと言えばいいし言わなきゃいけない、言わなきゃいけないのに言わずに変な文章つらつら並べて誤魔化してきたのがわたしの罪で、これからずーっとその罪を償わなきゃいけない。ほんとうは全部嫌だったんです。わかるよね?わからないでね。