ぜんぶ嘘だけどね

 

気づいているかわかりませんが最近のわたしはほんとうにもうダメです。

いまのわたしが大切にしているものすべて、近い将来意味をなくしてしまうだろうということが直感的にわかる。すべてというのはほんとうにすべての物事です。浮上してきたタスクや思考を取捨選択する、その選択すべてが間違っていて、必要なものを片っ端から捨てながらいまわたしは歩いている。なにもかもがダメになってしまって布団の中で丸まって情けない文章を書くことしかできない。

 

上の文章は1月15日に作成した下書きで、3月31日現在のわたしはさらにダメな状態になっている。文章が書けないという内容のブログは何個目ですか?文章はそれほどまでにわたしにとって大切な(そう思いたい)もので、それがうまくいかないせいでもうずっとずっと落ち込んでいる。しかしそれでも落ち込みきらないからやはり文章は書けない。

 

幸せだから文章が書けない、それでも今のわたしは幸せだと感じているのだからそれでいいことにしていると恥ずかしげもなく言うわたしを友人たちは優しく肯定してくれて、それで本当に恥ずかしくなってしまった。それでいいと思っていないからこんなにうじうじ言っているわけでしょう。文章を犠牲にして享受する日々の幸せは本当は意味のないもので、その焦燥感からどうにか捻り出した文章はもっと意味のないもので、そもそもわたしが文章を書くことに意味があるのかわからないまま、意味が必要か?と問いかけること自体も無駄で、じゃあどうしたらいいのでしょう?例えば明日の朝一番に商店街の花屋で買ってきた花を100円均一の花瓶に活けたとして、それに意味がありますか?

 

姉は職を失い、兄は引きこもり、祖母は陰謀論を信じ、妹だけは晴れやかに小学校を卒業した。わたしは二日酔いでバイトを休み、親知らずを抜き、その痛みに甘えてろくに勉強もせず、気づけば春休みを終えようとしている。鏡の前で大口を開けると真っ黒い糸が当然のように歯茎に埋まっていてすこし面白い。1年前の自粛期間からこっちすっかり夜型になったらしい隣人は今夜も気持ちよさそうに歌を歌っている。たぶん彼は今の幸せを生きていて、それだけが本当のこと。