わかりますか?

 

過去の自分の文章を読み返していると、かなり頻繁に、わかりますか?と問いかけていることに気づく。誰に?

わかってほしくて文章を書いているのだと思う。もちろんそうだと思う。わかってほしいしわからないでほしい、わからないことをわかっていてほしい、わかる?わかりますか?

 

過去から離れることができない。将来については本当に楽観的なのに、過去の辛かったこと嫌だったことは何度も反芻してしまう。例えば恋人がライブハウスで出会った女にたぶらかされて飲みに出かけたりしたときの感情をわざと思い出す。最悪な気持ちになる。気分が落ち込む。ご飯を食べて寝る。起きたら落ち着いている。数か月に一回、本当に嫌な思い出を引き出して悲しみや怒りや絶望や少しの安心を再体験することで初めて普段の穏やかで幸せな生活のバランスを保つことができている。そうしないと生活できないわけではないけど、そうしたほうが良いことがわかる。わたしにはわかる。あなたにはわかりますか?

汚いものを見ると落ち着く。不快なものが排出される様子に安心する。千と千尋の神隠しで、カエルや人やごちそうをたらふく食べたカオナシが川の神の団子によってそれらをすべて吐き出すシーンが小さい頃から大好きだった。排出したものが汚ければ汚いほどカオナシはすっかりキレイになっているはずで、それが爽快だから。わたしは不快なものを見たり思い返したりすることで、今の自分が比較的快適に暮らしていることを確認したいのかもしれない。もしくは最悪な経験を定期的に想起することで次なる最悪な経験に備えているとか。あるいは単に悲しんで落ち込んでいるわたしが一番きれいで、そうしないとブログが書けないからかも。ね、どう思う?

 

ずっと後ろ向きに生きている。過去を振り返るのが生きがいで、将来の自分が気持ちよくノスタルジーに浸れるように今を生きている。今のわたしが今を生きることはできなくて、過去のわたしにとっての将来か、将来のわたしにとっての過去という捉え方しかできない。

何かをやり過ごしている。生活をやり過ごしているという感じ。大学院の入試が終わって、爪に色をつけては剥がす生活を繰り返しているうちに10月も終わってしまった。冬が来ることは嬉しいけれど、それを待つ日々に彩りを見つけるのは得意ではなくて、そうやってなんとなく過ごした時間が22年重なっているだけなのに、過去の出来事は快も不快も鮮やかに思い出される。どんな日々を送っても将来の自分は今の自分を思い返して都合よく感傷に浸ってくれるだろうということだけはよくわかる。みなさんにはわかりますか?わかってね。