ワールドイズマイン

 

最近のこと。1週間ほど前からバカでかい口内炎が治らない。田舎の祖母がグランドゴルフに通い始めたと電話してきた。恋人にかわいい鞄を買ってもらった。Amazonで買った加湿器のパワーがかなり弱い。親に今年は帰省してくれるなと言われた。お年玉代わりにみかんを送ってくれるらしい。

 

恋人の唯一気に入らないところはわたしのブログを読んでくれないところだと愚痴ると友人に呆れられた。自分の恋人がブログを書いていれば全記事隅から隅まで5回ずつは読むのが普通だと思っていた。好きな人がどんなことを経験してどんなことを考えているのか合法的に知れるのだから当然だ。もうそんなことしか書くことがない。恋人のことを文章にするのは気乗りしないフリをしていたけれど生活の8割を一緒に過ごしているのだから恋人のことくらいしか文章にできない。生活が幸せであればあるだけ自分が本当につまらない人間だということをまざまざと知らされる。

 

昨晩歯磨きをしながらブログを書こうと思った、確かに書きたいと思ったことがあったはずなのだけどもうすっかり忘れてしまった。だから何かを書きたいと思ったらすぐ文章にするべきなのにもう何年も同じことを繰り返している。そういえば普通の日常みたいなことをそれっぽく書き上げるのも苦手になってしまった。わたしは悲しいときつらいとき怒っているときにしか文章が書けなくて、昔はなんだかずっと落ち込んでいたからいつでも書けたのだけど今はてんでダメだ。ここ半年ほどのブログが全く面白くないことには気づいている。結局わたしがわたしを好きでいるためには文章が必要で、でも今のままでは書けない。幸せだけれど書くためにはやく不幸にならなければという焦燥感に駆られるのがほんとうにつらい。どうにか嫌なことを探してみてもせいぜいバイトがめんどくさいとか授業で発表するのが嫌だとか恋人とけんかしたとか将来のことが漠然と不安だとかそういうありふれた大学生の悩みしか出てこない、しかしわたしはありふれた大学生とは違う大それた悩みを持っているなんてうぬぼれももうこの年齢になるとできなくて、昔のわたしは普通の生活をぜんぶ自分と関連付けて否定的に捉えるのがほんとうにじょうずだったんだなあと思う。自己肥大から脱却できるくらいには大人になったということかもしれない。

 

 

最近雪がたくさん降る場所に行きたいと思っている。以前好きだった人は東北地方への思慕をよく文章にしていた。憧れの場所というものがずっとほしくてたまらない。わたしはたいがい何に対しても憧れを持つことができない。何度でもいうけれどとにかくわたしはわたしのことにしか興味がなくて、わたし以外のものを純粋に好きでいることが難しい。わたしが何の衒いもなく好きだといえるものは猫とカレーとあとはテイルズオブシリーズくらいで、その他はほんとうに自分に関連することにしか興味を向けられない。心理もそうだし、恋人もそうだし、映画も小説も友達のこともみんなそうだ。わたしはもう自分の身の回りのことで精一杯なのだ。自分以外のものを追いかける人たちのことがうらやましくて、というよりそれが普通で、そういう人にならなければという思いが強くて、何かを好きにならなければとずっと思いながら生きてきたのだけど、やっぱりわたしには難しい。

 

小学生のとき、「普通わかるでしょ」という言い方で母親に叱られることがたびたびあった。今でこそその「普通」を教えるのが親の仕事だろうと憤ることもできるけれど、当時は「普通」を外れないようにしなければといつも恐る恐る行動していた。普通と違う言動をすること、何かを知らないということを露呈するのがずっと怖くて、それをあまり気にせずにいられるようになったのはごく最近のことだ。そうやってずっと怯えながら生きていたので気づかなかったけれど、わたしは思っていたよりずっと普通で、世界は思っていたよりずっとわたしとは関係のないところで動いている。わたしとわたしの身の回りだけがわたしの世界で、実はそれで十分なのだ。

 

今年は世の中がずっと落ち込んでいて、色んな不利益を被った人がたくさんいるのはわかっているけれど、わたしにとっては人生でいちばん穏やかで幸せに過ごせた年だった。ブログが面白くないことだけが唯一の難点で、わたしの幸せでつまらないありふれた世界を納得できる形で文章にすることが来年の目標だ。