搔き停める

 

今日の夕方、港の近くのライブハウスで観たバンドのフロントマンはあまりMCが上手ではなかったのだけど、ライブの終盤、お腹の底にずっと黒くて重い塊があるのだと言った。それを曲にして、歌って、ライブで吐き出すつもりだったのに、延期に延期が重なってもう自分でもその時の感情がわからなくなってしまった。わからないままわかったふりをして演奏するのは自分にとってはよくないことで、どうすればいいのかわからない、と、そういう趣旨の話をして、しかし自分の言葉に納得いかない様子のまま、3曲演奏して舞台袖にはけていった。

 

わたしがまだ高校生のとき、「搔き停める」というタイトルのブログを書いた。もちろん当時の感情は今のわたしには思い出せないけれど、いいタイトルだと思う。確実に消えてしまう、永遠に存在することはできない感情や考えを、文章にして掻き集めることで、そこが記憶の停留所のようなものになれば、それがいちばん良い文章なのだと思う。

 

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あの頃のわたしが持っていた全能感もそれと矛盾する激しい無力感も今のわたしには取り戻せないし、今のわたしが持っているものを未来のわたしが取り戻せないことも今のわたしはわかっている。それでも(わたしの文章は1週間ほどは寝かせて推敲したほうが面白くなることもわたしは知っているのだけど)、今日のわたしが感じたことの一部分でも明日のわたしが覚えていられるように、今日感じたことくらいは今日のうちに文章にしておきたいと思う。